[コラム] 帰ってこない留学生
2007年07月24日 13:29更新
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出典:PHP総合研究所ホームページ(http://research.php.co.jp/)「研究員コラム (株)PHP総合研究所 国際問題研究部研究員 前田宏子 中国コラム第4回」より
日本には現在、約12万人の留学生が存在するが、そのうちの63%、7万5千人が中国人留学生であり、出身地域別で見ると第1位を占めている(2位は韓国、約14%)。中華人民共和国成立後、初めて日本が中国人留学生を受け入れたのは国交正常化の翌年の1973年のことで、当時は毎年10名前後の留学生がやってくるのみであった。
だが1970年代末に中国で改革開放政策(*1)が始まると、現代化に必要な人材を育成するのに、留学生派遣が重要な役割を果たすと認識されるようになる。1978年に行った演説でトウ小平(トウは「登」と「おおざと」)は「留学生の数を増やさなければならない。・・・これは今後5年間に、効率よくわが国の科学水準を高める重要な方法の一つである。10人とか8人とかではなく、幾千幾万の学生を派遣すべきである。」と述べ、大規模な留学生派遣事業が開始されることになった。
しかし、大量の学生を海外に送り出すにあたり、中国国内では反対の声もあった。派遣された留学生が戻ってこないのではないかと懸念されたのである。それに対し、トウ小平は「1000人のうち100人が帰らなくても、わずか十分の一であり、まだ900人が残っている」と述べたのであった。
トウ小平のこの概算は、当たったとも言えるし、外れたとも言える。実際に派遣事業が始まると、大勢の中国人留学生は、学業修了後も中国に戻らず海外に残ることを選択した。先日、中国政府系シンクタンクの中国社会科学院が出版した『中国人材発展報告』によると、78年以降に出国した留学生106万人のうち、7割以上が帰国していないという。そういう意味では、トウ小平の「十分の一」は大外れだったわけだが、78年当時は、留学生はすべて政府が選別し、留学費用も政府が負担する国費留学生しかいなかった。公費留学生の帰国率は100%近いのだが、帰ってこないのは私費で留学した人々である。1984年に中国政府が私費留学を認めてから、その数は増加の一途をたどっており、05年度に留学した11万8500人のうち、90%までを私費留学生が占めるまでになっている(『産経新聞』07年6月9日)。
『中国人材発展報告』では、中国の頭脳の流出が、今後の中国の発展にとって脅威になると警鐘を鳴らしている。ただ、中国にとって悪いことばかりとも言えないのではないだろうか。留学に出たまま海外で就職・結婚し、永住権や国籍を取得する中国人の多くは、中国の政治体制や社会環境に満足していないのだろうが、祖国に対しやはり特別の感情を抱いている。そういう人材が海外に多く存在すること、また優秀な中国人が世界で活躍することは、中国のソフトパワーを高めることにつながる。
それに海外に残った中国人がまったく祖国に帰らないというわけでもない。最近では、中国経済の成長をみて、ビジネス・チャンスを求め頻繁に往来する人が増えている。私が留学していた清華大学(*2)でも、世界中から留学生がやってきていたが、欧米から来ている留学生の約半分は、中国系(二世、三世)の学生であった。
人材の流出を"危機"ととらえる見方に対し、アメリカの大学で教鞭を取っているある中国人研究者も、次のような異論を唱えている。すなわち、通信・交通の手段が発達したグローバル社会では、所在地の意味は下がってきており、海外にいても中国の発展に貢献している面もある。「日本の企業がアメリカに設立した研究所で働いているアメリカ人は、日本の利益に貢献しているし、IBMやグーグル、マイクロソフト社が中国で設立した会社で、帰国した中国人が働くこともある」というのである。
本当の問題は、多くの優秀な中国人が、中国と往来はしても、定住したいとは思わない原因が中国国内に存在することにある。中国政府は、2010年までに、海外に滞在する中国人留学生のうち15万から20万人を本国に帰国させるという目標を立て、そのための施策として、彼らに高給を与えること、福利を充実させること、住居や子女の教育について優遇条件を与えることなどを打ち出した。
前述の中国人研究者はその政策について、そっけなく次のように述べている。「これらの措置は一定の効果を挙げるかもしれないが、それは海外にいる留学生が最も重視する点ではない。もし帰国する留学生を増やしたいなら、優秀な人材が、能力を発揮できるような環境を作り出す必要がある。それは自由な気風、人物評価の透明性・迅速性である。」人はパンのみにて生きるにあらず、ということだろう。
*1 改革開放政策:1978年の中共第11期3中全会で打ち出された国内体制改革と対外開放政策。毛沢東が死去し、文化大革命の旗振り役となっていた四人組が失脚したあと、実権を握ったトウ小平が、疲弊した中国経済を立て直すために推進した。
*2 清華大学:北京大学とならぶ中国の名門大学。理工系の大学だが、公共政策や経営学など、人文系の分野でも評価が高い。朱鎔基前首相、胡錦涛国家主席などの出身校。
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前田 宏子
(株)PHP総合研究所 国際問題研究部 研究員
専門分野 【 中国外交・安全保障政策 】
1973年、神戸市生まれ。1996年、大阪大学法学部卒業。同年、京都大学法学研究科に進学、国際政治学を専攻し、1999年、修士号取得。修士論文は「1980年代 北東アジアの国際関係―米中ソ関係を中心に」。1999年、PHP総合研究所入所。2000年より現職。
2003年9月〜2004年8月中国清華大学留学。2004年9月〜2005年12月中国当代中国研究所訪問研究員。
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