[国際金融トピックスNo.154]「底辺の10億人('The Bottom Billion')」をどう読むか
出展:三菱UFJリサーチ&コンサルティングホームページ(http://www.murc.jp/index.php)「国際通貨研究所 国際金融トピックスNo.154/国際通貨研究所 開発経済調査部 主任研究員 福田 幸正 2008年2月25日付」より
「2008年を'底辺の10億人'(the bottom billion)の年にしようではありませんか。」
1月7日の年頭の記者会見で潘基文国連事務総長が世界の貧困根絶に向けこのように表明したことはいまだに記憶に新しいものと思う。唐突に感じたり、あるいは聞き流した方も多かったかもしれないが、潘事務総長が言及したのはポール・コリアー(Paul Collier)オックスフォード大学経済学教授の海外で注目を集めている近著'The Bottom Billion'(副題 Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It)を指していることは知る人ぞ知る、である。ゼーリック世銀総裁も世銀総裁就任100日後のスピーチで'The Bottom Billion'に言及しており、出版後一年近くが経っているにもかかわらずいまだ世界各地での講演会も含めコリアー教授は引っ張りだこである。ちなみにコリアー教授はアフリカ開発問題の第一人者として、また世銀の研究部門の長を勤めた経験もありその際の開発と紛争に関する研究などでも有名である。
潘事務総長が敢えて著書名そのものを年頭の挨拶で挙げ新年の抱負としたコリアー教授の'The Bottom Billion''の要旨をごくごく簡単にまとめると次のようなものである。
1990年代以降、途上国と呼ばれる国々に住む50億人のうち40億人は持続的な経済成長を通して貧困状態から脱しつつあるが、アフリカや中央アジアを中心とする「底辺の10億人」が住む国々はグローバリゼーションに取り残され慢性的な貧困、低経済成長、更には経済後退に澱み他の40億人の途上国との所得格差を一層広げているのみならず、テロや麻薬などの温床となって今や国際安全保障に関する重要な課題として浮上している。
「底辺の10億人」の途上国の経済成長を阻害する抜け出し難い様々な「罠」(「紛争の罠」「天然資源の罠」「悪い国に囲まれた内陸国の罠」「小国でガバナンスが悪い罠」)を軽減し、自立的な発展を促すために道義的な観点もさることながら冷戦後の国際安全保障という新たな意味づけのもとで国際社会は従来のこれらの国々に対する援助、貿易、軍事、ガバナンスを総合的に再検討すべきである。
すなわち、援助については、その限界をわきまえつつ経済成長のための開発支援にあらためて焦点を置くこと、貿易については、これらの国々は既にグローバリゼーションの波に乗った中国やインドなどのアジアを中心とした新興国に太刀打ちすることは極めて困難であるので、先進国側は時限立法的に「底辺の10億人」の途上国に特化した優遇市場開放制度を設けること、軍事面については、紛争経験国の平和構築支援に当っては中途半端な対応はかえってコストがかかるのが経験則であり、適切な規模の兵力の投入を図ること、そしてガバナンスに関しては、天然資源の国際取引における透明性確保のための国際条約など国際規範の強化が求められる。
また、このような21世紀のグローバルな課題に対しては同じくグローバルな対応が求められ、G8サミットこそこれを主要議題に挙げるに相応しい。
'The Bottom Billion'は膨大な統計分析の裏づけに基づきつつも多くの読者に読まれることを意識して書かれており、最近の経済の本には珍しく一切数字や数式はなく平易な言葉で語られている。以上のようにまとめてしまうと識者の中には「何が目新しいのか」と疑問を感じる向きもあるかもしれないが、この一見すると目新しさが無いことこそが'The Bottom Billion'の意義ともいえよう。
すなわち、特に援助に関しては昨今の先進国側における議論は細分化される傾向があればこそ、そのような中であらためて王道は途上国の「経済成長」にあることを喚起したことが重要である。その上で「底辺の10億人」の途上国の経済成長を阻害する要因を前述の「4つの罠」に整理し直し、それらに対する既往の援助や貿易などの手段の問題を指摘し、国際社会は第二次大戦直後の世界秩序構築時のような真剣さと勢いとともにこの21世紀の課題に正面から当るべきとしている。
そしてコリアー教授は識者のみならず一般人の常識と良識に訴えかけ、G8サミットのメンバーである世界の指導者を突き動かすグローバルな世論形成を目論んでいる。このように、この一冊で途上国問題の本質と対応案をグローバルな視点から包括的に読み解いてくれることが高い評価を得ている理由であろう。
なお、特に援助の分野ではそのときどきの流行に流され開発課題は振り子のように大きく振れ続けてきた観がある。その間、本来追求すべき途上国の経済成長に資する開発ではなく、援助のための援助という様相すら呈しているとコリアー教授は批判する。このような動きに対して辟易としていた多くの読者がいたはずであり、一服の清涼剤として受け入れられたものと思われる。コリアー教授の援助や一部のNGOに対する批判は極めて辛らつであり、また途上国の腐敗指導者に対する歯に衣着せぬ批判も実に小気味よい。
'The Bottom Billon'が一撃となったのか既に流れは変わりつつあるように感じられる。最近まで途上国の貧困削減を唯一絶対の目標と掲げ世界の援助を主導することを使命と任じてきた有力な援助機関ですら経済成長の重視への回帰を模索し始めたと聞く。彼らは機を見るに敏であり変わり身が早い。一方、日本は従来から途上国の経済成長を通した貧困削減を主張し続けてきたはずであり、殊この視点に関しては今後とも引き続きぶれないことが重要であろう。その意味でコリアー教授の議論は強い味方である。
折しもコリアー教授はこの2月末に来日講演する。折角このような人物を招請するのであれば講演会だけで終わらせるのではなく、例えば7月の洞爺湖G8サミットでの議論に日本がリードしてつないだり、あるいは最近注目度が落ちてはいるが10月に発足する世界最大規模の二国間開発援助機関「新JICA」を巡る骨太の議論につなげるなど、戦略的な展開が図られることに期待したい。
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