ジカ熱、媒介するネッタイシマカは撲滅されたはずだったが再流行

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ネッタイシマカ
2016年1月25日、コロンビアのカリでヒトの肌に止まるネッタイシマカが撮影された。 ルイス・ラバヨ(Luis Robayo)さん/AFP/ゲッティーイメージズ

フレッド・ソーパー(Fred Soper)氏は衝撃を受けた。ネッタイシマカを根絶するという数十年に及ぶ骨の折れる仕事が彼の前にあったのは1967年のことだった。この厄介な蚊が中南米で再び広がって、住民たちは黄熱病、出血熱といった致命的な病気に感染するリスクにさらされている。パンアメリカン衛生局長(Pan American Sanitary Bureau)の名誉理事であるソーパー氏は、ブラジル保健衛生省大臣のレオネル・タバレス・ミランダ・デ・アルバカーキ(Leonel Tavares Miranda de Albuquerque)博士に宛てた手紙の中で蚊についての懸念を書いて、根絶を完了するために新しい省を作るように呼びかけた。

ソーパー氏の努力は結局実らなかった。ほとんど根絶されたことになっていた蚊だが、50年近く経って再び米国南部、南米、カリブ海地域といった広い地域が生息地となり繁殖している。ネッタイシマカはジカ熱を発症させるウイルスを媒介するとして、再び注目を集めている。専門家は、半世紀に及ぶ経過に対して、広範囲に及んでしぶとく生息して病原菌を媒介する生物である蚊を根絶するという課題は、それを試みてきた衛生当局、政府、国際機関にとって油断ならない課題であるという教訓を明確に示していると指摘する。

「一旦、衛生当局によって進められてきた改革が緩められると、ネッタイシマカはすぐに戻ってきた」と元米海軍の昆虫学者であり現在は米国蚊防除協会(American Mosquito Control Association、通称AMCA)のスポークスマンであるジョセフ・M・コンロン(Joseph M. Conlon)氏は説明した。蚊が根絶された後の対応は、「ねえ、コンテナ容器から水を捨てたかを確認するためにお金を使う必要はあるのかい?」というものだったとコンロン氏は述べた。

衛生当局による改革は、ネッタイシマカを制圧するために蚊が卵を産む場所、つまり水が淀んででいる、あるいは流れない場所をなくすことを意味していた。そして、それがネッタイシマカを根絶する最も効果的な方法であると公衆衛生や蚊の駆除の専門家は述べた。世界保健機関(WHO)は、ウイルスのためのワクチンが存在しないため、ジカ熱を防ぐために蚊を抑制するのが「最高かつ直近の方法」と説明した。

2016年2月2日、コロンビア南西部の市、カリ(Cali)のインターナショナルトレーニング・アンド・メディカルリサーチトレーニングセンター(CIDEIM)の研究室で人間の手に止まるネッタイシ マカが撮影された。  ロイター/ジャイム・サルダリアガ(Jaime Saldarriaga)さん

「これはかなり大規模な作業になる」とコンロン氏は述べた。「ネッタイシマカを含む蚊を制圧するプログラムとして公共教育も行われなければならない」と加えた。パンフレットの配布など公共メッセージを含むキャンペーンで人々に熱心に促し、植木鉢から車のタイヤまで、一見無害に見える家庭の中の様々な地点で集めた水を捨てるように促進することになる。「人々が受け身の体制ではなかなか実現できない」とコンロン氏は話した。

これらの方法は早い段階で蚊を殺すことになるが、成虫に至った蚊は対象から外れるため、若い世代の蚊が完全に払拭されるまでは噴霧器を使った消毒が行われる。さらにコンロン氏は「ネッタイシマカを取り除く現実的な方法は公衆衛生にある」と述べた。

米国の細菌学者ウォルター・リード(Walter Reed)氏は1901年、世界中で数多くの致命的な流行となった黄熱病を媒介するのは蚊であることを突き止めた。その後ネッタイシマカを根絶する試みが20世紀前半に始まった。

かつて南米18か国でジカウイルスを運ぶ蚊は根絶されたと宣言が出された。(上記写真)2016年2月1日、南米ペルー、リマのカラバイヨ(Carabayllo)の墓地で蚊の幼虫を探している医療従事者が花瓶の水を捨てていた。  ロイター/マリアナ・バゾ(Mariana Bazo)さん

1934年の時点でブラジルは同国の北東部のいくつかの都市で何とか蚊を一掃したが、国全体でも同様の取り組みを開始した。1942年、ブラジルは公共教育と消毒を行うことを組み合わせて蚊の一掃に成功したと発表した。5年後、南米諸国がまとまってパンアメリカン衛生協会の後援の下、南米大陸全域で蚊を一掃する計画を立てた。

15年が経過した1962年、カリブ海の18か国に加えていくつかの島が蚊を根絶したと発表した。軍隊並みの組織で有機塩素系の殺虫剤DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の大量散布が行われ、人材育成と装具の購入とDDTなどの供給品に豊富な資金が投入されて蚊は根絶したと発表された。ブラジルではこのプロセスとして、1931年から58年にかけて6億1,700万の家屋がこの作業に関係した。

蚊の一掃の成功の陰で、ネッタイシマカによる疾病は政治的な重要性を失っていった。ネッタイシマカに対するプログラムにはわずな時間を割くにとどまり、それとともに関心度も低下し、資金調達も減少していった。

そうなってから蚊が媒介する疾病が急増するまでは直ぐだった、と米インディアナポリスのインディアナ大学パデュー大学インディアナポリス校のマックス・ヤコボ・モレノマーディアン(Max Jacobo Moreno-Madriñán)環境衛生科学助教授は述べた。同助教授は、母国コロンビアでネッタイシマカなどにより媒介されるデング熱が流行したときのことを思い出した。1978年にデング熱の流行が大衆文化の一部として歌になった。「El Dengue de tu Amor」や「The Dengue of Your Love」がその歌で、発熱の症状などが歌詞になっている。現在、毎年5,000万人がデング熱に感染していると推定される。

2016年2月12日、ブラジル軍の兵士がネッタイシマカと戦うための研修を終えたことを示すセレモニーの後でリオ・デ・ジャネイロで配布するパンフレットを見せてくれた。  ロイター/リカルド・モラエス(Ricardo Moraes)さん

広い地域で蚊の一掃が以前、成功したこと、1962年以降に蚊を根絶するためのプログラムが提示されたことによって、ネッタイシマカ根絶は一回限りの出来事ではないのがわかると専門家は述べている。

「媒介生物のコントロールは、実際にやっているからこそ良い結果になる」と米ピッツバーグ大学医療センターのアメッシュ・アダルジャ(Amesh Adalja)シニアアソシエイトは話した。「これらの活動を縮小すると直ぐに蚊そのものにチャンスを与えてしまうことになる。たとえ一つの地域で蚊が排除されたと宣言されても、交易や旅行によって再びもたらされる。「世界は狭い」とアダルジャ氏は語った。

ジカウイルスの事例が増加し、世界はこれに取り組んできた中で、科学者が強い懸念を示しているが未だに解明されていないことがある。ジカウイルスが先天性欠損症である小頭症の原因ではないかという懸念である。保健衛生当局は人間と蚊の次の戦いのための準備を進めている。週末にかけて、ブラジルでは25万人の兵士が参加してコンテナ容器にたまった淀んだ水を捨てようと地域の人々に促すチラシを配布するキャンペーンが始まった。20世紀半ばにブラジルで初めて病気を媒介する虫に対してキャンペーンが行われたが、この期間中に数百万世帯に対して呼びかけの訪問が行われた。今回は、それに遜色を取らないものである。

一方、米国では殺虫剤への反対がやや軟化していると米国蚊防除協会のコンロン氏は述べて、これはジカウイルスそのものへの恐怖が影響していると加えた。環境や人々への有害な影響があるとして1972年にDDTは米国で使用が禁止された。DDTの使用の恐怖が広がる中でも上述のような努力は行われてきた。

もし50年に及ぶ経過が何らかの教訓が示しているとしても、蚊を根絶する初期の努力がすべてを示しているわけではない。蚊がすべて根絶されたと考えられたその後で、様々な問題が発生してきたのである。

*この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。(原文:Elizabeth Whitman 記者「How Zika Virus-Carrying Aedes Aegypti Mosquitoes Were Eradicated, And Then Returned」)