シリア難民、ドイツでの生活は?

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難民登録センターで待つ
中東とアフリカからの難民は、ドイツで法的庇護を受けるための申請をベルリンの登録センターで待っていた。 オシー・グリーンウェイ(OSIE GREENWAY)さん

モンサール(Monther)さんはシリアを離れることを決めた瞬間をはっきりと覚えている。安全を確保するため、フルネームを公表しない約束で取材に応じたモンサールさんは、シリアで店舗を経営していた。シリア北東部の都市デリゾールで姉妹と一緒に自宅に向かって車を走らせていたときのことだった。過激派組織イスラミックステート(以下ISIS)の拠点で、グループのメンバーがモンサールさんの車を止めた。兵士は、モンサールさんの姉妹の服装が厳格な身だしなみにそぐわないと非難した。モンサールさんは、はっきりと意見を述べた。「それはイスラム教の女性が扱われるべき所作ではない」。すると、モンサールさんは公共の面前で50回のムチ打ちの刑に処せられた。

シリア戦争によって、既に生活は奪われてしまっていた。昨秋、シリア政府軍によって落とされた爆弾が、モンサールさんの経営する携帯電話ショップを吹き飛ばして瓦礫とした。半年後、モンサールさんと家族の生活は、またもや恐怖に突き落とされたのだ。ISISからの猛攻撃に直面することに加えて、政府軍による空中からの攻撃にも直面している多くのシリア人にとって、厳しい現実だ。

4年前、地域を巻き込んだ紛争が始まって以来、約400万人のシリア人が国を逃れた。シリアからの難民の流出は、地域を巻き込んだ激しい市民戦争を、外交的・人道主義的に解決しようとした米国や欧州、シリアの隣国のアラブ諸国が失敗したことに対する動かぬ告発である。四面楚歌のシリアのアサド(Bashar Assad)大統領を辞任に追い込むか、それともISISを根絶するか、政策と焦点の当て方についての意見の相違がシリアの混迷を深めて、血の海は広がりを見せている。

2015年8月27日、シリアからの難民がハンガリーとセルビア国境を結ぶ鉄道線路に沿ってセルビアのホーゴス(Horgos)の村の近くを歩いているところを撮影した。  ロイター/マルコ・ジュリカ(MARKO DJURICA)さん

レバノンはシリアの隣国だが、よほど人道的な事例を除いて、国境は昨年10月以降閉鎖されている。以来、多くのシリア人は、新たな目標地であるドイツへ向かって、熱い思いで母国から流れ出している。

欧州諸国はシリア難民にとって好ましい目的地である。ドイツは裕福で、住宅があり、子どもたちに学校教育を提供し、仕事も豊富にある。ドイツは2015年、80万件の難民申請者を受け入れた。この数字は2014年に受け入れた難民申請者の4倍であり、他のEU(欧州連合)諸国が昨年受け入れた難民を上回る。ドイツは2015年7月、3万7,000件以上の難民申請者を受け入れたが、これは2014年の同月比93%増となっている。

モンサールさんはムチ打ちの刑を終えて、この数字の中に含まれる1人になろうと決心した。だがドイツへの道程は容易ではなかった。ISISの支配する村から、反乱軍の支配する町まで、かつて繁栄した都市が今では爆撃によって瓦礫と化した場所を通って陸路を進んだ。トルコの国境を無事に越えた後、モンサールさんはギリシャへ行くためのボートに乗るため、密輸業者にお金を払った。バルカン半島を通って中央ヨーロッパで電車に乗り、ドイツに着いた。そこではモンサールさんの弟が医師として暮らしている。

モンサールさん(左)は、シリアのジャーナリスト、ヤヒヤ・アル・アオス(Yahya Al Aous)さんとともに、ベルリンの難民登録センターでシリアからの旅について話した。  ベンジャミン・ヒラー(BENJAMIN HILLER)さん

ドイツまでの危険な行程で落とし穴を上手くナビゲートする難民に、新しい問題が待ち構えている。速やかに受け入れられる以上の人々がドイツへ流入している。難民はドイツの首都ベルリンに到着すると、ドイツ当局による処理を受けるため、ベルリン州保険社会局(通称Lageso)で長い行列を作って待たなければならない。

行列は長く、疲れた男が眠りこけて広げた足元を子どもたちが走り回っていた。ほとんどの難民は何から始めればよいのかもわからない。新しくやってきた難民には番号が振られた一枚の紙がわたされて、時には一週間以上、登録申請が許可されるまで待たなければならない。登録申請が受理されて初めて公式の難民手続きが開始される。

慈善活動組織がケアのギャップを埋め、ボランティアが施設内を走り回って食料を揃え、初歩的な教育を行う。クリスティ・ベックマン(Christiane Beckmann)さんは難民のための組織「Moabit Hilft!」のスポークスマンだが、政府がもっと活動を行うべきだと考えている。「国のやり方は完全に失敗している。実際には国がやるべき仕事を私たちがやっている。私たちの資金と自由な時間を使って」とベックマンさんはIBTimesに語った。

難民申請者が、ドイツのベルリンの入国管理当局で申請を待っていた。申請が受け入れられた場合、3年間の滞在が許可される。  オシー・グリーンウェイ(OSIE GREENWAY)さん

ベックマンさんは、多くのボランティアが何週間にもわたって難民を支援してきたため、限界に近付いていると指摘した。ボランティアは親のいない子どものケアをし、暑さの中で倒れた妊婦を介抱し、難民たちの辛く恐ろしい戦争体験に耳を傾ける。緊急避難所は過密状態なため、難民の中には近くの公園で眠り、夜どおし町の中をあてもなくさまよう者もいる。モンサールさんは避難所にスペースがなかったときは、雨が降る屋外で寒い一夜を過ごした。

難民の約3分の1がドイツへの亡命を許可される。シリア人には、たとえ最初に別のEU加盟国に到着した場合でも、ドイツへの亡命を主張できる特別な措置が与えられている。セルビア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナといった「安全な国」からの移民は一年以内に国外退去させられる。申請が受け入れられた難民は三年間のドイツ滞在を許可される。その後、難民の本国の状況に変わりがなかった場合、無制限の滞在許可の申請ができる。申請手続きの後、税収や人口規模を考慮に入れた上で、ドイツにある16の連邦州のいずれかに住むことになる。居住施設は質素で、共用の部屋、二段ベッド、洗濯設備などが付いているが、多くの難民は旅を生き延びてドイツに来られたと感謝している。

ナーラさん、2歳の娘フェージョア(Fajer)さんはシリア難民である。シリアのアレッポから、より安全で豊かな生活を求めてドイツにやって来た。  ベンジャミン・ヒラー(BENJAMIN HILLER)さん

ナーラ(Nahla)さんは5月に、夫と2歳の娘のフェージョア(Fajer)さんとともにシリアから逃れてきた。ナーラさんはベルリンに到着するまでに、シリアからの脱出を7回試みて3か月を要した、アレッポ生まれの35歳である。ブルガリアでは、国境警察が犬を解き放ってナーラさんはほとんどのお金を盗まれたと語った。セルビアで、ナーラさんは一日投獄されたため、自由の身になるための「身代金」として、100ユーロ(約1万2,000円)を支払わなければならなかった。

登録番号を受け取るために並ぶのは、自由を手に入れるための小さな代価である。「とうとうドイツに来られてとても幸せだわ。登録申請にどれほど長い時間がかかってもかまわない。安全でいられるのだから。近い将来、この町で働き始めたい。シリアの戦争が終わるまで」とナーラさんはIBTimesに語った。

ナーラさんは上手く登録を申請し、一か月に359ユーロ(約4万4,000円)を受け取ることになった。これはドイツ市民の生活保護の支払いよりも安い。ナーラさんは今後3か月は働くことを許可されないが、その後の雇用が保証されているわけではない。多くの雇用者は将来が不安だとして難民を採用したがらない。

難民は、ドイツ人あるいはEU諸国の市民と地位を競合しない場合に限って就業を許される。難民は雇用市場で差別に直面する。それだけでなく、難民は人種差別による暴力や、通りでの放火による攻撃とも戦わなければならない。新顔に対する憤慨がドイツ社会の特定のグループの中で高まっている。多くのドイツ人は、難民がドイツに到着後に受け取る金額について不満がある。

しかし、難民は「仕事を奪う」あるいは経済に不必要な負担をかけているという考え方は、事実には裏打ちされていない。最近の統計によると、難民も含むドイツの外国人は、社会福祉の金額を考慮しても220憶ユーロ(約2兆6,400億円)の黒字をもたらすと伝えている。高学歴の難民が増えるにつれて、毎年の黒字額も増える。

モンサールさんは難民申請が受理されれば、ベルリンから西へ600キロの静かな町、アルペンで医師をしている弟のところへ行ける。ISISによる夜間の空爆や誘拐を心配する必要もない。しかし、シリアに残された人々のことを考えると、夜も眠れない。モンサールさんの姉妹はISISが支配する地域を通る旅はできなかった。モンサールさんの妻は3人目の子どもを妊娠しているため、旅はあまりにも危険だとしてシリアにとどまった。ドイツはモンサールさんにとって避難所にはなるかもしれないが、故郷には決してならない。

*この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。(原文: BENJAMIN HILLER AND REBECCA GREIG 記者)「What’s Life Like For Syrian Refugees In Germany?」)