シリア: 国外脱出した起業家のリターンで再生を

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パンを売る少女

シリア北東部の都市デリゾールで、瓦礫の中で椅子に座りパンを売る少女がいた。2013年5月9日撮影。

ロイター/ハリール・アシャウイ(Khalil Ashawi)

 2011年10月、シリアの起業家モハネド・ガシム(Mohaned Ghashim)氏は彼の人生において最も困難な決断を下した。

 ガシム氏はシリア最大の都市アレッポで長年にわたり2つの企業を活発に展開してきた。1つはシリア金融市場のオンラインサービス会社、もう1つはeコマース(電子商取引)の会社である。小規模だがスタッフと緊密な関係を築いていた。15人のスタッフはオフィスで誕生日を祝い、時には公園やスケートリンクで社内イベントも開催した。 だが内戦発生後、ガシム氏はシリアを離れる決心をした。「あの日のことは今でも憶えている。一緒に仕事ができて感謝しているが、ここで仕事を続けるわけにはいかないとスタッフに伝えた。悲しかった。胸が張り裂ける思いだった。日々を共に過ごした仲間だったから」と彼は述べた。

平和な時代にはガシム氏(中央)と彼のスタッフは、アレッポのオフィスで誕生日を祝ったものだった。
平和な時代にはガシム氏(中央)と彼のスタッフは、アレッポのオフィスで誕生日を祝ったものだった。

  シリアを離れるのはビジネス上の決断だった。内戦が激しくなるにつれて、オンラインや電子取引の仕事は次第に減少していった。特に2006年に米国がシリア商業銀行に対して制裁を科し、欧州のクライアントの支払い受け取りが困難になった。ガシム氏は常にクライアントのニーズを満たすために残業を繰り返してきたが、欧米企業との信頼関係は崩れ、状況は彼のコントロールを超えていた。内戦で流血の事態が激化するにつれて、シリアから多くの意欲的な起業家が去った。一部は難民キャンプに逃れた。国内で退去した者もいる。シリアの反政府武装組織、自由シリア軍(FSA)の旗の下に団結し、シリアのアサド(Bashar al-Assad)大統領の武装部隊と戦い、命を落とした者もいる。かつてのようにシリア情勢を安定させるために、崩壊した国の再建には起業家は不可欠だ。しかし彼らが戻ってくるという保証はない。 シリアを離れて シリアを離れた後、ガシム氏は状況を見きわめるために、まずレバノンへ向かった。そこでヨルダンでの事業環境が好都合かを見た。その後、彼はヨルダンの首都アンマンに移動し、インキュベーターの「オアシス500」と協力して世界中からエンジェル投資を掻き集めた。現在、ガシム氏はShopGoと呼ばれるeコマースサイトを運営して、中東の企業がオンラインビジネスを行う一翼を担う。従業員13人のうち、7人はシリア人だ。「ヨルダンに来てから、インキュベーターやエンジェル投資家と呼ばれるシステムを知った。シリアには起業家のサポートがないため、これは衝撃だった」とガシム氏は語った。シリアのビジネス環境は根本的に欠陥があった。シリアからの才能と資本の流出は、内戦以前から始まっていた。 シリアは1946年にシリア共和国としてフランスから独立。それからの数十年間、シリア政府は概して民間企業に抑圧的だった。しかしアサド大統領が父親のハーフィズ・アル・アサド(Hafiz al-Asad)前大統領の後を継ぎ、2000年に大統領に就任すると、改革を約束して自由化推進に着手した。世界貿易機関(WTO)への参入を求めて2010年にオブザーバー資格を取得し、外資獲得のために多くの銀行を開設した。外国直接投資は2010年に14億7,000ドル(約1400億円)に達し、その10年前の2億7,000万ドル(約200億円)から急増した。GDP成長率は2004年の6.9%がピークだった。マクロ経済がバラ色の数字を描き出している間、シリアは内紛により血を流していた。「抑圧的な政権により、多くのシリア人が公共利益のために仕事をするのを敬遠した。精神的に支配体制に抑えられて、自由、活発、勇気を持って近代的な協調体制を確立できなかった」とシリア・アメリカ評議会の理事メンバー、ソハイブ・アラガ(Sohaib Alagha)氏は語った。アサド政権は成長するために必要な政治的変革を実現できなかった。事実、彼の統治期間中も貧困は高まった。国連開発計画(UNDP)の調査によると、2007年時点でシリアの人口の3分の1以上が1日2ドル(約200円)未満で生活していたという。以後、状況は悪化している。政府がインフレを加速させ、生活費を引き上げ、2008年には燃料費への政府補助金削減が断行された。定期的な干ばつが少なくとも国内4分の1の地域で発生し、失業農民の多くが都市部に移動し、スラム街が発生した。一方で汚職が横行した。有力な親戚縁故に恵まれた幹部や職員が、アサド政策の主な受益者であった。 貧富の格差は2011年3月に限界点に達した。治安当局はダルアーの南部の町の建物の側壁に革命的なスローガンを殴り書きしていた男子学生のグループを逮捕して拷問を行った。デモ活動が広がり内戦が勃発した。「内戦以前ですら外国人投資家はシリアが投資対象として良い環境だとは思っていなかった」とガシム氏は言った。「しかしシリア国内で生活してきた者として、私はシリアに多くの有能な起業家が存在し、多くの機会が失われたことを知っている」と同氏は語った。

 2011年3月21日、シリア南西部のダルアー県の県都ダルアーの目抜き通りでは閉店した店舗が並ぶ。

2011年3月21日、シリア南西部のダルアー県の県都ダルアーの目抜き通りでは閉店した店舗が並ぶ。 (提供:ロイター)

  内戦地域で ガッサン・アバウド(Ghassan Aboud)氏はシリアで最も成功したビジネスマンの1人だ。彼は20年前にシリア当局の手の届かないアラブ首長国連邦に拠点を置いた。しかし今回の内戦は母国を荒廃させた。彼は人脈を介して反政府勢力をサポートしている。アバウド氏は最近までシリア北西のイドリブの町のオリーブオイル工場と、首都ダマスカスの車販売代理店を経営していた。どちらも既に操業を停止している。「政府の治安部隊は、私の家、私の土地、私の家族の家に火をつけた。そしてオリーブオイル工場を政府の軍事基地に転用した」と彼は言った。アバウド氏はアラブ首長国連邦に拠点を置くメディア、オリエントテレビで知られる。彼はかつてダマスカスにプロダクションオフィスを構え、彼のニュース番組はシリアで高視聴率を取っていた。2009年にアサド大統領の従兄弟のラミ・マクロフ(Rami Makhlouf)氏が、アバウド氏にオリエントテレビの株式の92.5%を渡すよう要求したという。アバウド氏が断ると、ダマスカスのオフィスは閉鎖に追い込まれた。シリアのオリエントテレビの165人の従業員は、自身と家族に危害を加えられるのではないかという脅威の下で、再び会社のために働くことはないという誓約書に署名を求められた。アバウド氏は、アサド政権の長期的な経済自由化計画に否定的であり、政府からの脅威にも驚かなかった。「シリアではこれをマクロフ氏の企業解体と呼ぶ」と彼は言った。内戦が始まったとき、アバウド氏は反政府勢力をサポートし、国の継続的な危機に対処するためにオリエント人道復興支援と呼ばれる組織を形成した。 これまでのところ、内戦で9万3,000人以上が死亡し、数百万人に上る悲惨な難民が深刻な食糧と医薬品不足に陥っている。大規模なインフレは生活必需品の価格の高騰をもたらした。この状況に対して、欧米諸国は人道援助で数百万ドルを投じた。アサド政権はイランから支援を受け、独自の通貨の多くを印刷するためにロシアの施設を使用している。一方で湾岸諸国は、資金や物資とともに反政府勢力を支援している。戦時経済による暴利、燃料密輸、武器密売、不法関税、誘拐が発生している。 アバウド氏が焦点をあてているのは医療問題だ。内戦地域の劣悪な環境では、公務員が基本的な職務を実行することができない。「シリアでは、ごみが回収されない。遺体は放置されたままだ。病気が蔓延している」とアバウド氏は語った。「10の病院と8つの医療センターを創立して7万5,000人以上を治療した。すべて無料だ」と同氏は付け加えた。アバウド氏ら寄贈者はできることを実現しているが、シリアの人々は大きな苦しみを受けており、内戦が終わったとしても問題がすべて解決するわけではない。国家再建には新たな費用もかかり、複雑な課題が絡む。

シリア北部の市、アレッポの旧市街では破壊された建物が建ち並ぶ。2013年4月29日撮影。
シリア北部の市、アレッポの旧市街では破壊された建物が建ち並ぶ。2013年4月29日撮影。 (提供:ロイター)

  内戦発生後 ダシャド・オスマン(Dlshad Othman)氏は2011年に、家族を後に残してシリアから離れることを余儀なくされた。彼は現在、米ワシントンD.C.で技術専門家として生計を立てているが、親族はシリア北東部に留まったままだ。「家族を心配している。故郷には、さほど多くの問題は発生していない。シリアの他の地域よりましだ。しかし確実なことは何もない」とオスマン氏は述べた。 オスマン氏の目標は内戦が終了してシリアを再建することだが、彼は自分がクルド人で少数派であることに不安を感じている。日増しに内戦は激化して、国内の民族や宗教派間の対立は深まっている。オスマン氏は北東シリアで育ち、ITエンジニアの学位を取得後、兵役に就いた。2011年初頭から仕事探しを開始して、ダマスカスの民間のインターネットサービスに就いた。事務職であったため技術スキルを生かせなかった。しかし、結局そんなことはどうでもよくなった。内戦が始まってオスマン氏は反政府色が強いとして解雇された。その後、英国のジャーナリストからのインタビューと撮影に応じたため、オスマン氏は逮捕された。当局の治安部隊はジャーナリストの取材資料を押収した。危険が迫っていた。2011年11月、友人がオスマン氏をレバノンへ逃げるよう助けてくれた。そこから彼はフランスとアイルランドを経由して米国に入国した。 海外で過ごしている間にオスマン氏は才能を開花させた。英国の記者とともに、経験を活かしてVirtus Linuxと呼ばれるインターネットシステムを開発した。インターネット上に活動家やジャーナリストのプライバシーを提供するために設計されている。持ち運び可能な記憶装置のフラッシュドライブを使用しないインターネットを可能にした。ワシントンに滞在している間、プログラミングの経験を得ることに加えてコラボレーションアートに関して学んだとオスマン氏は述べている。「シリアは世界の他の地域から切り離されている。シリアを離れた人々がシリアに戻ってくれば素晴らしい力を発揮するだろう」と彼は述べた。しかしそれは安全な環境でこそ発揮されることをオスマン氏などの外国人居住者は知っている。内戦が終わっても、同国の安定性は多数派のスンニ派とアラウィー派、アサド大統領が所属するシーア派、その他のイスラム分派のメンバー間の対立に脅かされる。中道派のシリア人は反政府勢力の一部がイスラム統治の考え方を受け入れていることを危惧する。テロリストグループは現在、双方と戦っている。反政府勢力はアルカイダグループのヌスラ戦線(シリアの反政府イスラム勢力)から支援を受けている。一方で政府軍は、レバノンのシーア派過激派グループのヒズボラに支えられてきた。クルド人は長い間、彼らを疎外している政権の間に挟まれ厄介な状況に追い込まれてきた。そこに内戦が過激な要素を挟み込んでいる。オスマン氏にシリアに戻るのが安全だと思うかと尋ねると、オスマン氏は政治について語り「国がどうなるかに因る。誰が政権を担当することになり、クルド人の問題がどうすれば解決されるのか、わからない」と述べた。

シリア北東部の都市デリゾールで、瓦礫の中で椅子に座りパンを売る少女がいた。2013年5月9日撮影。
シリア北東部の都市デリゾールで、瓦礫の中で椅子に座りパンを売る少女がいた。2013年5月9日撮影。(提供:ロイター)

  未来へ 支配体制が変化して治安が安定すると、経済成長推進のために新制度が必要になる。それを作成する責任はアサド政権に対する反体制派統一組織、シリア国民連合のメンバーにゆだねられる。 計画作成者の主要メンバーの1人でシリア経済タスクフォース(SETF)のコーディネーターとして活動するのがオサマ・カディ(Osama Kadi)氏だ。「シリア国民連合は暫定政府のために詳細な経済計画をている」とカディ氏は言う。SETFも住宅、農業、金融に関する包括的レポートを発表していると同氏は指摘した。すべてが計画通りに行けば計15セクターに対応するため、さらに多くのレポートが追加される。

 カディ氏は、内戦前には15%近くだった失業率を指摘して、雇用対策の重要性を説く。「3年~5年以内に1万人近い雇用を創出するために3つのプログラムが必要だ。労働者の教育レベルを上げる教育プログラム、技術専門的スキルを上げる専門的プログラム、中小企業の資金調達を上げるための企業者プログラムである」と同氏は述べた。いずれも海外からの資金調達なしでは実現できない。内戦が始まった頃に170億ドル(約1兆7,000億円)あったシリアの外貨は、税収入の減少、高価な軍事作戦、EUによる厳しい制裁措置により10億ドル~4億ドル(約1,000億円~400億円)に減少した。 「シリアの友人たち(Friends of Syria)」グループのメンバーは、欧米と中東諸国11か国が内戦の余波の中で復興資金を供給するよう望んでいる。反政府勢力の支援を受けてアブドラ・ダルダリ経済担当副首相(Abdullah al-Dardari)率いる6人のメンバーからなるチームは、国を再建する計画に取り組んでいる。シリアの成長を大きく持続可能なものにするために、多くの企業が閉鎖され教育システムが疲弊している中で、国の再建復興には様々な起業家の才能が必要だ。「経済産業大臣は、すべての産業ゾーンを確保する計画を立てるべきだ。あらゆるビジネスマンや生産業者に見合った形で鼓舞し、経営再建するものでなければならない」とカディ氏は指摘した。 現時点で楽観的な見方はできないが、海外のシリア人に希望を与えるいくつかの要因はある。アラガ氏は、シリアは常に国外移住と信頼できる資本から恩恵を受けてきたと指摘している。「長い間亡命しているシリア人のコミュニティがある。彼らはシリアへ送金を続けている」と彼は述べた。内戦が終了して環境が整ったことが十分に証明されれば、シリアを去った多くの起業家は、才能、経験、コネクションを持って戻ってくるだろう。「ヨルダンに来て新会社設立の機会を得た。内戦が終わればシリアの人々を助けるのが私の義務だと思う」とガシム氏は述べた。「夢はオンラインビジネス参入者を支援するインキュベーターをシリアで開始することだ。私がシリア以外から援助を受けてきたようにだ。可能性はあると信じている。これまで開花させるチャンスがなかっただけだ」と同氏は語った。 *この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。