ロマン・ジグナー展 精密でアクションに満ちたアート

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 「何かが起こっているときが好きだ」。こう語るのはスイス人アーティストのロマン・ジグナーさんだ。映像や彫刻、インスタレーションなどの作品には、本人も認める自分への皮肉が表現される。近作16点を展示するため、創作活動の出発点であるザンクト・ガレン美術館に戻ってきた。彼の作品を鑑賞するには、注意が必要だ・・・。

 最初の展示は「離陸」を扱っている。もちろん実際に離陸するわけではないがとても面白い。美術館の階段で上映される映像作品「ピアッジオ」では、ヘルメットをかぶり、お決まりの大きな手袋をはめたジグナーさんがオート三輪のハンドルを握る。

 そしてこの一風変わった宇宙飛行士が助手たちに別れを告げると、車は荷台が尻もちをついた格好にひっくり返る。飛行士は窓から手を振り、カウントダウンが声高に始まる。続いて真っ白な煙が上がり、このオート三輪は姿を消す。

 速さで知られるわけでもないオート三輪をロケットに見立てるというコントラストに見られるように、ザンクト・ガレン美術館で企画される今回の回顧展には、訪れる人たちを驚かせる要素がたっぷりと用意されている。

 爆発は破壊ではない

 率直に言うと、10月26日まで開催のこの展覧会を見るのに、そう時間はかからない。展示されているのは、わずか16点だからだ。「一過性の彫刻」とも言えるこうした作品では、「速さと遅さ」が一体になる。そのため、鑑賞者が作品を見てまわるリズムそのものも、このアーティストによって作り出されると言えるだろう。そして当然ながら、作品が実際に「爆発」するのを待つ「忍耐」の時間は重要な意味を持つ。

 ジグナーさんのインタビューは少ないが、6月の日刊紙ターゲス・アンツァイガーの取材では「爆発させるアーティストと呼ばれるのは嫌いだ」と答え、「爆発とは、急激な変化に過ぎない」と説明している。「それによって、一つの形が別の形になるだけ。それが常に『破壊』になるわけではない。爆発は、いくつもの可能性と未知の側面を秘めている」

 廃業したあるホテルの窓から爆発とともに椅子が飛び出す映像作品で有名になったジグナーさん。彼はシンプルでしかも古めかしいオブジェと「精密化」を一体化させ続ける。「精密化」はダイナマイトを扱うからには当然必要だが。

 「精密化」の例として、スイスのある家具メーカーのために制作されたインスタレーション「穴の開いた椅子」がある。周到に配置された爆薬が、ソファーの背にぽっかりと穴を開ける。爆発のシーンはもちろん撮影されていて、その映像はソファーの穴を通して映し出される。それは、めまいを起こすほどの入れ子構造を作り出す。

 だが、ゆっくりと時間をかけその制作プロセスを見と、自然に笑みが浮かぶことは間違いなしだ。

 詩と瞑想

 ジグナーさんは今回、彼にとって全てが始まったこの美術館に再び戻ってきた。というのも、彼はここで1980年代の初め、一般客の入れなかったアトリエを使い1年間制作活動をしたからだ。

 知り尽くしたこの空間に配置された作品。その一つに角部屋に置かれた8卓の青いスチール製のテーブルがある。何かが起こりそうな気配は全くない。

 だがそれは間違いで、スポットライトに照らされたテーブルに軽く触れると、とたんに波が、より正確には波のようにうねる影が天井に現れる。この美術館のために特別に作られた作品だ。ジグナーさんの作品に特有の詩的な「魔法」は、ある種の瞑想を引き起こす。

 「私の作品は純粋に直感的だ」

 別の所では、これまた詩的なユーモアが支配する。アーティストが自分にペンキを浴びせ、自分の体の跡を残した小屋がその例だ(1999年ベネチア・ビエンナーレ国際美術展で制作)。また、ザンクト・ガレン修道院付属図書館の地球儀を連想させるような、青色で満たされた一つの球体が落ちてつぶれるスローモーションの映像もそうだ。

 「私の作品は、出来事や経験から出発する。実験的であったり頭で考え出したりしたものではない」とジグナーさんは前出の日刊紙のインタビューで語っている。「作品は私の体に強く結びついている。しかし、それは物理的な意味での体ではない。(・・・)自然の法則を説明しようなどとは思っていない。(・・・)私の作品は純粋に、直感的なものなのだ」

 どうやって椅子を起こす?

 しぼんだエアマットが膨らむにつれ、倒れていた10脚のスチール製の椅子が起き上がる作品は、美術館の係員によって行われるのだが、これは会場で実際に行われる数少ないパフォーマンスの一つだ。エアマットに空気が入り始めると、かすかな不安が胸をよぎる。「椅子が横に倒れるのでは?起きるときの勢いが強すぎてひっくり返るのでは?」。だがそれは無駄な心配。完璧な出来だった。

 また別の部屋では、二つに切断された自転車がアーティストの「仕事」を表現する。「犯罪行為」を行うという仕事だ。自転車の命を奪ったノコギリと自転車のフレームを切断するという犯罪行為。そして、この「犯罪者」の目を保護した眼鏡が「凶器」として部屋の中央に配置する。

 そうして鑑賞者は「犯罪行為」を自分でも想像していく。二つに切断された自転車は、部屋の対角線上の二隅に吹き飛んでいる。それぞれが、ゴム製の二つのケーブルで引っ張られており、そこにはまだ「死体」が横たわっている。自転車としてのその存在理由を完全に失いながら。

 その他の作品にも、同じようなメランコリーを漂わせるものがある。例えば一つの眼鏡。言うまでもなくアーティストのものだが、一枚の鉄板に押しつぶされながら直接床に置かれている。

 それから伝説的なスイスメーカー、パイヤード・ボレックスの古い映写機。水を張った樽(ベネチア・ビエンナーレの『青い樽』を再加工)の中で、映像のない光を投げかけるだけだ。ここにも、人を戸惑わせるような一つの青い染みしか見えない。

 だが、1963年のキャッチフレーズでもあり、ドイツ語圏の人気歌手ヴィコ・トリアーニの歌のタイトルと同じ作品「みんなスキーをする」では、再びユーモアが現れる。ジグナーさんはタイトルを文字通りに実践し、スキー板の上に乗せられた小さな山小屋が、つないでいたケーブルを切られたとたんにゲレンデを滑り降り始める。

 この展覧会で見られる入れ子構造と同様に、その映像は美術館に移された山小屋の中で上映される。山小屋自体は微動だにしないのに、鑑賞者は自分の足で地面を数十メートル滑り降りているような感覚を覚え、果たしてこの山小屋が立ったままでいられるのだろうかと不安になる。

 そして、入り口近くの部屋で打ち上げ花火がくくりつけられた数脚の椅子を見るときには、メランコリーと期待は悲しみに変わってしまう。この椅子たちは打ち上げられるのだろうか?それとも、アーティストはこのままで止めておくのだろうか?ジグナーさんは、物やある状況の持ちうる潜在性を示したいとも言う。だが、この作品に関して言うならば結果を待つ時間はまだまだ続く・・・。

 ロマン・ジグナーさん(Roman Signer)略歴1938年アッペンツェル生まれ。チューリヒ(1966年)、ルツェルン(1969~71年)、次いでワルシャワ(1971~72年)の芸術大学で学ぶ。1971年よりザンクト・ガレンに住み活動を続ける。1970年代半ばより、その「映像化された制作プロセス」と「パフォーマンス」は広く一般に知られる。1981年にスイスのテレビで語ったように、「力」の相互作用によって生まれる形を作り出そうと模索。現在も「爆発は私にとっては破壊ではなく、一つの変化だ」と語る。また「物が重さを持たないような感覚を覚える瞬間、物が空中に留まっている瞬間が好きだ」とも言う。例えば、ブーツから噴き出す水が人の形を連想させる「ブーツ(1986年制作)」。このパフォーマンスを収めた写真はおそらく、スイスの美術館で最も売れた絵葉書の一つだ。ジグナーさんはまた、カヤックを沈めたり、ニットキャップをロケットのように飛ばしたり、模型のヘリコプターを小さな箱や美術館の部屋で操作したりもする。1999年のベネチア・ビエンナーレ国際美術展では、複数の鉄球が天井から外れて粘土素材の台座に落下するパフォーマンス「一度に」を制作。数々のフェスティバルで上映されたペーター・リヒティ監督のドキュメンタリー「ジグナーのスーツケース」により、それまでにも世界的に認められていたアーティストは、より多くの人々に知られるようになる。

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