■あえて谷に突き落とす
今や最も有名な日本人の一人でもある、プロ野球大リーグのイチロー選手。日本ではオリックスに在籍していたが、最初からずっと1軍選手として活躍したわけではない。2軍生活という谷に落としたのが、先日、亡くなった土井正三氏(当時監督)だった。
その土井氏の告別式で、当時の巨人監督の川上哲治氏が「君の名誉のために言っておきたいことがある」と声を大にして言った。その真意は、野球がチームプレーであると教えるためだったのだという。
土井氏は、1993年のシーズンではイチロー選手を開幕では抜擢したものの、途中で2軍行きを命じた。「イチローの才能を見抜けなかった」「イチローの振り子打法を否定した」などと散々な言葉を浴びせられた。だが、本人は沈黙を守り、むしろ甘んじて批判を受け入れていたようにも見える。
当時を知る関係者は「当時のオリックスでは1軍では、外野の層が厚くレギュラーとして試合に出られないことはわかっていました。だから、2軍なら試合でずっと出られるということが理由だったようです。実は土井さんは、イチローのことを10年は1番ライトでレギュラーを取れる選手になると考えていました」と語る。
■トップ就任のタイミング
土井氏は93年限り、契約途中でチームを去った。その後を受けたて監督に就いたのはイチロー選手も師と仰ぐ存在の仰木彬氏だった。仰木氏は人望があるために多くの選手たちや関係者から慕われている。そしてオリックスは仰木監督の下で95、96年と2連覇を果たしてもいる。
この両者は相性が合ったということもあるだろう。イチローが活き活きとプレーしているようにも見えた人も多いはず。そこで「イチローの才能を見出した」「名監督」という評価が仰木氏に与えられるようになった。
だが、もしも土井、仰木両氏の監督在任時期が逆であれば、どうだっただろうか? もちろん、そんなことは検討もつかない。勝負の世界に「IF」は当然ない。それで今のイチロー選手があっただろうか、ということさえもわからない。
だが、当のイチロー選手は、土井氏が自分の才能を見抜いていてくれたことは十分承知していたようだ。当時はまだ高校球児のようなあどけなさが残っていたイチロー選手。プライドが高いだけに、2軍に落ちてそれまで以上に野球に真摯に取り組んだことは想像に難くない。
「おいしいところ」。誰もが欲しい。しかし、敢えて試練を与えたトップのことは、部下もいつかはわかってくれるはずだ。また、万人に評価される時も必ず来るはずだ。
